イベントレポート
202405.22wed
「東広島市制施行50周年記念式典」を開催しました。
コンセプトは「未来につながる みんながつながる」
東広島市は昭和49(1974)年4月20日、西条町・八本松町・志和町・高屋町の4つのまちが合併して誕生しました。平成17(2005)年には、黒瀬町・福富町・豊栄町・河内町・安芸津町と合併し、現在の市域に。
50年目となる令和6(2024)年4月20日(土曜日)には、今日の発展を築き上げてきたすべての方々へ感謝するとともに、さらなる飛躍に向け決意を新たにするべく、記念式典を挙行しました。
式典壇上の様子
- ●場所:東広島芸術文化ホールくらら大ホール
- ●来場者数:800人
東広島市の歩みと未来を表現した映像に見入る来場者
第1部のはじめには、ショートフィルム『東広島市50年の夢』を上映。主人公がタイムトラベルをしながら市の過去の出来事や魅力ある場所を巡る様子が描かれています。過去や現在の様子が代わる代わる現れ、明るい未来を予感させる映像に見入る来場者の様子が見られました。
-
満席となった客席
-
式典で上映された記念映像
高垣市長が東広島市の変遷を振り返り、これからのまちづくりへの決意を表明
市制施行以来掲げてきたのは、「人間と自然の調和のとれた学園都市」づくり。市制施行時、6万4千人だった人口が3倍を超える19万7千人にまで増え、都市として発展してきた歩みを振り返るとともに、今日の市の発展に携わられた先人たちや市民、関係者へ敬意と感謝を表しました。そして、50周年という歴史的節目を、50年後の未来に向けた次世代学園都市として新たな発展段階へと歩みを進める元年にしたいという言葉が。SDGsの達成と、市民一人一人のWell-beingが向上する「やさしい未来都市 東広島」の実現、さらに日本における学園都市のモデルへと成長するため、市民とともに、このまちをさらなる発展につなげる決意を表明しました。
奥谷議長の挨拶に続き、来賓よりお祝いの言葉をいただきました
東広島市議会の奥谷求議長は、これまで東広島市に関わった全ての方々への感謝と、新たな50年に向けてすべての市民が幸福を感じられる「やさしい未来都市 東広島」の実現を目指し、市民と共に歩んでいくと意気込みを述べられました。
来賓は23名。岸田文雄首相のお祝いビデオメッセージをはじめ、広島県副知事や広島県議会副議長など6名からの祝辞と多くの方からの祝電により、市制施行50周年をお祝いいただきました。
-
挨拶を務める奥谷議長
-
岸田文雄首相のビデオメッセージ
東広島市歌の3番を初披露しました
東広島市歌は、檀上正孝さん作詞、関野幾生さん作曲により、昭和50(1975)年1月18日に制定。歌詞は1番と2番で構成されていましたが、檀上さんが晩年に作詞されていた3番の歌詞が遺品から見つかり、ご遺族より寄贈いただきました。市歌の3番は、初披露です。
独唱は折河宏治さん。伴奏は、もりてつや.さんによる指揮のもと、東広島くららジュニアオーケストラ、くららオーケストラが奏でました。
-
独唱する折河宏治さん
-
演奏の様子
音楽劇や記念ソングの披露で会場が盛り上がりました
第2部のはじめは、もりてつや.さんの指揮による音楽劇。東広島市が掲げる『やさしい未来都市』をテーマに、現在と未来が「未来ポスト」でつながる物語が披露されました。
最後には、HIPPYさん作詞・作曲の50周年記念ソング『明日のハーモニー』をHIPPYさんと高屋中学校合唱部が熱唱。ラストスパートでは、来場者も一緒に声に出して歌い、会場が一体となっていました。
-
音楽劇『未来ポスト』
-
50周年記念ソング『明日のハーモニー』
カルチャーフェスタとマルシェ、記念写真展が同時開催され、
多くの来場者でにぎわいました
式典の開催に合わせて、くらら小ホールなどではカルチャーフェスタが、西条中央公園では東広島の“ステキ”が集結したマルシェが開催され、多くの市民が訪れました。
また、くららの市民ギャラリーでは、記念写真展も開催され、写真を見ながら昔を懐かしむ人の様子も見られました。
-
カルチャーフェスタの体験コーナー
-
小ホールでのバレエの演技
-
マルシェ会場全体の様子
-
マルシェを楽しむ人たち
-
記念写真展の様子
-
懐かしい写真を見る人たち
式典やカルチャーフェスタ、マルシェに来ていた市民に
東広島市制施行50周年、そして未来の東広島市についてお話を伺いました。
広島大学Town & Gown Office
アドバイザー
大河淳さん
Q1.市制施行50周年の中で思い出や印象に残っていることを教えてください。
私は、昭和54(1979)年市役所に入庁。ブールバールの開通、東広島ニュータウン造成など、都市計画に携わりながら急激に変化していくまちを身近に見てきました。大学移転を中心とした新たなまちづくりは、当時「東のつくば、西の賀茂」といわれ、全国的な流れとなった国家プロジェクトでもありました。まちとしての魅力を高めるためには教育がとても大事で、学生たちと地域とのつながりを促進している動きは、この頃から築かれたまちづくりの基本だと思っています。
Q2.これからの50年、東広島市がどのようなまちになってほしいですか?
市役所で働いているときも、大好きなまちを良くしたいという思いで仕事と向き合ってきました。人口が増えている自治体は全国的に多くない中、東広島市はまちとして発展する資質はもっとあると考えています。今後も進学で東広島へ来る大学生が、ここに来て良かった、また住みたいと思えるまちづくりに期待したいです。
合同会社ひとむすび 代表 山田芳雅さん
Q1.市制施行50周年の中で思い出や印象に残っていることを教えてください。
平成29年(2017年)の合同会社ひとむすび設立以来、豊かなまちづくり・ひとづくりを目指し活動しています。何かを発信すれば、必ず地域の声として返ってくる手応えは、個人的にも会社としても、視野を広げる大きな力となりました。そして今も、僕たちの役目である、地域が循環する良い連鎖の創出と、人と人がやさしく結ばれるまちづくりが、東広島ならできると確信しています。
Q2.これからの50年、東広島市がどのようなまちになってほしいですか?
市制施行から50年、先人たちが積み重ねた功績の重みを感じる一方で、まだまだ可能性を持つ新しいまちの未来に期待しています。ひとむすびが目指すのは、市民でお金を回せるコミュニティ財団をつくること。また、新しい自治の形を東広島で実現できればとも考えていて、そのためにも人がつながって生まれる関係資本を、今後も地域の方々と協同で増やしていきたいです。
志和町 浜田さん
Q1.市制施行50周年の中で思い出や印象に残っていることを教えてください。
山陽自動車道が西条ICから志和ICまで開通したことは大きな出来事でした。暮らしでいうとやはり東広島・安芸バイパスの開通です。広島市内への移動がぐんとラクになったと感じます。
Q2.これからの50年、東広島市がどのようなまちになってほしいですか?
西条町のまち並みはきれいになり、便利にもなりました。ただ、志和町では過疎化も進んでいます。例えば移動販売やキッチンカーを運行するなど、今後はお年寄りもずっと住み続けられるまちになればいいなと思います。
高屋町 本永さん
Q1.市制施行50周年の中で思い出や印象に残っていることを教えてください。
平成の大合併が印象に残っています。長く高美が丘に住んでいますが、教育施設が整ってきたことで若いファミリー世代が増え、まちの雰囲気が移り変わっていく様子を身近に感じていました。
Q2.これからの50年、東広島市がどのようなまちになってほしいですか?
西条の地で医療や福祉に関わる仕事をしながら、住みやすい、暮らしやすいまちづくりに心を寄せてきました。今後は雇用の拡充など、行政と市民が一体となって東広島を盛り上げていけたらいいですね。
西条町 ハイファさん
Q1.市制施行50周年の中で思い出や印象に残っていることを教えてください。
サンスクエア東広島があるおかげで情報に困ることはなく、子どもの学校の相談にも乗ってもらっています。サポートしてくれる人も増え、どんどん子育てしやすくなってきたと感じています。
Q2.これからの50年、東広島市がどのようなまちになってほしいですか?
東広島にはたくさんの外国人が暮らしています。子どもたちにとっては小さい頃から異なる文化に触れられる環境なので、もっと交流が広がっていけばいいなと思います。
八本松町 大下さん
Q1.市制施行50周年の中で思い出や印象に残っていることを教えてください。
地元をフラダンスで盛り上げたいと思い教室を始めました。実家が安芸郡府中町にあるので、東広島・安芸バイパスの開通はとても嬉しかったです。開通イベントでは道路の上でフラダンスを披露でき素敵な思い出になりました。
Q2.これからの50年、東広島市がどのようなまちになってほしいですか?
昔は自分たちで子育てサークルを立ち上げて活動していましたが、今は子育て支援センターなどが充実しました。今後も子育てにやさしいまちである一方、都会にあるようなおしゃれなカフェが増えると嬉しいです。